特集 相互行為における言語使用: 会話データを用いた研究

西阪仰・串田秀也・熊谷智子 編集

『社会言語科学』10巻2号(日本社会言語科学会),2008年3月刊行.

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このたび,『社会言語科学』において「会話分析」の論文を集めた特集号が刊行されました.現在,日本語の会話分析研究に取り組んでいる研究者が結集しての特集で,たいへん読みごたえのあるものになっています.

寄稿者



巻頭言より

相互行為の実際の展開において,言葉は相互行為参加者たち自身によりどういうやり方で用いられているのか.本特集は,この問に具体的に取り組む研究を集めたものである.その狙いは,たんに相互行為のなかで生じた言語使用を研究対象にするだけではなく,言語使用を相互行為のなかに位置づけて解明しようとするところにある.

社会学者が社会の成り立ちを考えようとするとき,言葉に関心を持つことは,大いにありえるし,実際,何人もの社会学者が言葉について思考をめぐらせてきた.言葉ほど,はっきりと社会的なものはないし,言葉なしに社会の成り立ちは,およそ考えられないからだ.おそらく社会学者アーヴィン・ゴッフマンの仕事は,社会と言語について今日思索しようとする人たちにとって,避けて通れないだろう.しかし,ゴッフマンの仕事が重要なのは,言語を突き放すことにより,言語に迫ろうとしているからにほかならない.「発言の本来の住処は,発言が必ずしも産出されないような,そういう場所である」.1960年代の半ば,「無視された状況」という小さい文章のなかで,ゴッフマンはこう書いた.つまり,相互行為こそ,「発言の本来の住処」だというわけだ.人と人が互いに気づきながら居合わせるという事実のなかに,言語の使用は埋め込まれている.言語の研究であっても,それをあくまでも相互行為の組織という視点に結びつけること.本特集は,このようなゴッフマンの視点を,共通のよりどころとして出発した.

一方,1960年代には,やはり社会学者であるハーヴィ・サックスが,磁気テープに「自然に生起する相互行為」を記録し,それを繰り返し検討しながら,相互行為の組織のために相互行為参加者たちが利用する様々な「仕掛け」を明らかにしようとした.いわゆる「会話分析」の始まりである.本特集では,サックスの試みを,いくつかの点で受け継いでいる.第1に,実際に録音・録画された相互行為を扱うこと.すべての主張を,実際の録音録画のなかで起きていることに係留すること.そして,相互行為の細部を見逃さないこと.第2に,研究者が予め想定していること(話題の内容、性別などの社会的属性など、なんであれ)を,分析の前提に置かないこと.相互行為参加者たち自身が,自分らの相互行為を組織するために何をどう把握し,またどう対処しているのか.あくまでもこれを,その相互行為の具体的な展開に即して明らかにすること.

このような考えにもとづき,本特集への寄稿を呼びかけた.その結果,25編の研究論文が投稿され,うち11編を本特集に掲載できる運びとなった.さらに査読を続けているものも数編あり,これらは採用になれば,次号以降に掲載されることになる.

掲載された11編は,いずれも会話分析の立場に依拠する仕事である.その中には,(1) 特定の言語形式に焦点を当て,それが相互行為のうえでどのような仕事に用いられているかを主題としたもの(林論文,森論文,森田論文,高木論文,鈴木論文),(2) 相互行為の中で行われる特定の仕事に焦点を当て,そのために使われるいくつかの言語形式を視野に入れたもの(西阪論文,串田論文,田中論文,初鹿野・岩田論文,戸江論文),(3) 相互行為における言語使用を通じて,何らかの文化的・制度的枠組みが実現されるプロセスを主題的に(細田論文),あるいは副次的に(高木論文,田中論文,戸江論文)取り上げているもの,が含まれている.もちろん,この整理はさしあたりの見取り図である.いずれの論文も,この整理に収まりきらない複数の顔を持っている.

結果として,この特集が,会話分析の非常に重要な(おそらく日本語で書かれたものとしては初めての本格的な)論集という側面を持ったことは,会話分析に何らかの形で携わり続けている編者たちにとって,たいへん誇らしいことでもある.これを契機として,相互行為における言語使用を真剣に探究しようという読者がひとりでも増えてくれれば、編者としてこれに勝るよろこびはない.

最後に,本特集に興味を示してくださったすべての投稿者の方々,とくに短期間で様々な修正要求に応じてくださった投稿者の方々,厳しい日程の中で査読をこなしてくださった査読者の方々に,深く感謝したい.