A5版 436ページ 4200 円 (税込) 2008年9月15日発行 978-4-326-60202-5
ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーを出発点におき,会話分析の構えに拠りながら,相互行為における行為の組織を検討しました.「ことば」と「からだ」と「もの」が,互いの構造に依存しながら,互いの構造を鍛えあう様子に焦点を当て,人間の行為がどのような仕掛けにより生み出されるかを,原理的に考えました.扱っている素材は,楽器の練習,助産院や産婦人科医院における健診・診察,日常会話です.
本書における私の立場は、前著(『心と行為』)および前々著(『相互行為分析という視点』)とまったく同じである。一言で言えば、会話分析の分析手法を用いたヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーである。少し言い方を変えれば、ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジー的な相互行為分析である。これが何かは、序章を読んでいただこう。いくつか、あらかじめ言っておきたいことがある。
基本的立場は同じだが、私自身は前著のとき(書いていたのは2000年までの数年間)から大きく変わった。そして、いまも変わりつつある。ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの基本的な考えは、1993年から1994年にかけてボストン大学に滞在していたとき、ジェフ・クルターから学んだものだ。とくに「心的な述語」(「見る」「想像する」「認識する」「学習する」など)が様々な状況においてどう用いられているかを丹念に見ていくこと。とりわけ、これを経験的研究として、つまり実際の相互行為の録音・録画の分析をとおして、どう展開していくか。これがボストンから帰ったあとの重要な課題だった。2001年秋から半年、UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)に滞在した。この課題を遂行していくうえで、最も重要な仕事をしているのはチャック・グッドウィンだと思ったからだ。かれが当時考えていたことが、本書の出発点になっている。この点は、あとで立ち返ろう。いま述べておきたいのは、マニー・シェグロフとの出会いである。もともと秋学期だけで帰るつもりが、チャック・グッドウィンが絶対マニーの春の授業も出たらよいというので、結局、半年出た。自分がいかにいい加減に「会話分析」をやっていたかを思い知らされた。かれの会話データ(会話の録音・録画)に向き合う姿勢が、いつも私を圧倒しつづけた。データから精緻にいろいろなことを引き出す技術というものが、ほんとうにあるんだと実感できたのも、マニー・シェグロフからだった。
本書のモチーフは、チャック・グッドウィンが2001年当時考えていたことから来ている。その一つは、かれが「共生的身振り」もしくは「環境に連接された身振り」と呼ぶものである(これについては、その後2003年に論文として発表された)。本文で詳しく述べるが、私たちの身振りの多くは、私たちの身の回りの様々なモノと近接されることで、つまり、「環境の構造」に連接されることで、初めて理解可能になる。じつは、UCLAに行く前に、前著(『心と行為』)の第3章(「イメージと想像」)にもとづく英語論文を仕上げ、カナダの構築主義系の(などという言い方をしてよいものか定かではないが)心理学誌(『理論と心理学』)に投稿しておいた。この原稿をチャック・グッドウィンは読んで、これこそ自分の「共生的身振り」の興味深い例だとおもしろがってくれた。そんなわけで、ちょうどUCLA滞在中に送られてきた論文審査の結果にもとづいてその論文を書き直したとき、出来上がったのは、まさにこの「共生的身振り」というアイデアが中心となったものだった(この論文は2003年に出版された)。3人の子どもたちが、コンピュータ画面上に(アニメーションの)潜水艦が決まった航路を取るように「プログラム」を作ろうとしている。どのように「プログラム」を組んだら潜水艦がどう動くか。子どもたちは、コンピュータ画面上に指を這わせて、ああでもない、こうでもないと言い合っている。コンピュータ画面には水中の画像が映し出されているが、潜水艦は動いていない。このとき、子どもたちの指の動きは、潜水艦の「想像の針路」を描いているものとして知覚できる。このような知覚が可能となるのは、子どもたちのその時々の発言、コンピュータ画面上の映像の構造的特徴(環境の構造)、そして指の動き、これらが時間的・空間的に近接されることをとおしてにほかならない。この「共生的身振り」のアイデアは、本書の第1章で詳しく紹介する。そこでは、とくに「共生的身振り」によって、環境の構造のほうも再構造化されていく様子に焦点を当てていくことになる。ここから、自分および他人の身体に近接された「共生的身振り」が身体を、さらに身体と身体のあいだの空間をどう再構造化していくか、というように議論を展開させていくのが、「分散する身体」の基本的な筋である。